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皮膚科の紹介

皮膚科の紹介

東日本大震災関連情報

このページは、平成23年3月11日(金)14:46に発生いたしました
東日本大震災に関連した情報をお送りいたします。

情報は随時追加していきます。

皮膚科医局の改装が終わりました!医学部3号館6階に戻ってきました!

平成26年3月11日から14日までの一週間ほどかけて、皮膚科医局と研究室が医学部3号館6階へ戻ってきました。長年慣れ親しんだ医学部3号館6階の医局と研究室は改装されて、部屋の配置も大きく変わりました。医局の備品も一新しております。仮移転中は、関係各位にご不便をおかけいたしましたが、新しい皮膚科医局へ是非遊びに来てください。

現在、皮膚科医局のある医学部3号館は2階部分だけが通行できます。医学部3号館6階へお越しの際は、病院もしくは医学部2号館に入館して2階へ上がり、渡り廊下を経由して医学部3号館へと迂回下さい。

なお、エレベーターも更新中で一機のみの運行ですので、ご留意ください。

 

        

 

2014年03月19日 医局長 山ア研志

皮膚科医局が仮移転します!医学部3号館3階が仮移転先です。

平成25年11月5日から11日までの一週間ほどかけて、皮膚科医局と研究室が医学部3号館3階へ仮移転いたします。長年慣れ親しんだ医学部3号館6階の医局と研究室を改装するための仮移転です。平成26年5月頃まで仮移転先で医局の業務を行いますので、関係各位にはご不便をおかけいたしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。

現在、皮膚科医局のある医学部3号館の1,2階部分の通行ができません。医学部3号館3階仮移転先へお越しの際は、病院もしくは医学部2号館に入館して3階へ上がり、渡り廊下を経由して医学部3号館へと迂回下さい。

 

2013年11月03日 医局長 山ア研志

医学部3号館耐震工事情報その2

平成25年4月以降は、皮膚科医局のある医学部3号館の一階部分の通行ができません。医学部3号館への進入は、病院もしくは医学部2号館に入館して2階へ上がり、渡り廊下を経由して医学部3号館へと迂回下さい。

皮膚科医局と研究室も、平成25年9月頃から平成26年1月までは医学部3号館3階へ移転のうえ、全面改装する予定となっています。関係各位にはご不便をおかけいたしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。

2013年5月29日 医局長 山ア研志

医学部3号館耐震工事情報

東北大学医学部全体で、震災に関連した建物の改築や改修が行われております。それに合わせて駐車場の制限なども行われております。

平成25年1月よりは、皮膚科医局のある医学部3号館の建物の免震化と全面改修工事が本格的に行われます。 一部の改装工事は既に始まっており、医学部3号館の出入り口などに制限がかかっております。

皮膚科医局と研究室も改装のための図面がほぼ完成した状況です。平成25年夏頃から半年間ほど移転のうえ、改装する予定となっています。これからは、移転の準備等で徐々に慌ただしくなっていくと想像されます。

詳細情報は随時提供いたします。関係各位にはご不便をおかけいたしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。

2013年1月6日 医局長 山ア研志

東北大学病院皮膚科被災状況と震災後活動報告

東北大学医学系研究科皮膚科学講座教授 相場節也

この度の震災で被害に遭われました方々に、心よりお見舞い申し上げます。地震発生以来、東北大学病院皮膚科に対しましても、多方面の方々より見舞いや励ましのメイルを頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。十分な返事ができていなかったかと思いますが、緊急時のためとご理解・ご容赦頂けましたら幸いです。

平成23年3月11日から3週間が経過し、地震発生以来の経過を振り返る時間が少しできましたので、震災時の様子と震災後の東北大学病院皮膚科の活動を報告すると共に、これまで頂いた見舞いと激励の言葉への返信に代えさせて頂きます。

3月11日2時46分、教授室でコンピューターに向かって執務中に、突然強い揺れを感じた。

 仙台市・宮城県は、以前から大地震の襲来が予想されてはおり、1-数ヶ月に1回ぐらいの頻度で小さい地震を経験しているので、地震発生当初はいつもの揺れかと軽く考えた。実際、震災前々日の3月9日にも震度3-5弱の比較的大きな地震が発生している。ところが、今回の東北地方太平洋沖地震は、非常に強い横揺れが今まで経験したことがないほど長い時間(おそらく3分間ほど)続き、地震にある程度慣れている私にとってもただ事ではないと感じられた。

 上層階に医局を配する科長達からは死を覚悟したぐらいであったと聞いている。数分で地震の揺れはおさまり、私たちの研究室のある建物は倒壊を間逃れたが、研究室機材は散乱し、水漏れがすぐに起こるような有様で、直ちに建物の中にいた全員を屋外に退去させた。

 幸いにも医局員は誰一人怪我をしたものはいなかったが、後に各部屋を検証すると複数の医局員の机・椅子の上に本箱が倒れてかかっており、もしその場に人がいたら軽症では済まなかったであろう。

 6階にある皮膚科医局ですらひどい有様だったので、すぐに病院15階皮膚科病棟で入院中の方々安否が気係となり、病棟へ向かった。停電で病院のエレベーターも使えず、息を切らしてたどり着いた15階病棟では、入院患者と医療スタッフの無事が確認でき、ひとまず安堵した。次に外来診療室に向かい、来院者、医師、看護師と事務員の無事を確認したが、機材はすべて床に倒れている状態で、来院者にはすぐに退避してもらうこと以外は何もできなかった。

出張に出ているスタッフが数名おり、そのうち2名は今回の地震で最も被害の大きかった女川町と南三陸町で、地震当日に診療をしていた。二人とも地震が発生した時には帰路についており難を逃れることができたが、地震の発生が1〜2時間早ければ二人とも津波に飲み込まれていたかもしれない。山形、福島方面へ診療に出ていた医局員達は交通機関の不通により、当地での数日の滞在を余儀なくされた。ともかく、医局員全員の無事を確認することで、3月11日の震災日の日は暮れ、あたりは暗闇に包まれた。

大学病院では、すぐに地震対策本部が立ち上げられた。職員の安否確認で、怪我もなく全員無事との報告を受けた。倒壊した建物はなかったが、随所で壁に傷が入り、停電と水道管からの水漏れが至る所で起こっている模様であった。対策本部では、直ちに搬送されてくる負傷者に対応するべくトリアージの体制が組まれたが、予想外に大学病院に搬送されてくる患者の数は、震災当日にはそれほど増えることなかった。 3月12日からは、毎朝8時からの対策本部での会議を通して、大学病院の状況が知らされ、それに応じて皮膚科としての対応を検討した。震災二日目には断片的であるが、被災地の情報が入るようになり、津波による被害が甚大であることが分かってきた。沿岸地域、特に、石巻、相馬、多賀城、仙台市若林区周辺に在住の皮膚科同門会・丁未会の会員の安否が気になるも、被災後2日間は、通信手段の寸断により被災地の状況に関する情報はほとんど得られなかった。

 震災3日目(3月13日)から、丁未会幹事が中心になり丁未会員の安否確認と皮膚科関連病院と皮膚科医院の被災状況確認を開始した。連絡手段は公衆電話のみで、丁未会幹事の木村先生と沼田先生が2日間をまるまる費やしてほぼ全ての丁未会員の安否を確認した。この時には宮城臨床皮膚科医会の会員とメーリングリストからの情報も大きな助けとなったことに感謝いたします。

 3月14日月曜日は、外来診療体制を復旧させるべく、皮膚科外来の復旧が医局員総出で行われた。カメラや顕微鏡の破損を数点認めたが、診療そのものには差し支えが無い範囲であった。また医局のある建物が立ち入り禁止となったため、医局機能を病棟のカンファレンス室に移転した。この頃には宮城県北部の沿岸部の被災状況が徐々に明らかとなり、各被災地へのアクセスも徐々に復旧される様になった。

 3月15日からは被害の大きい気仙沼と石巻方面への東北大学病院からの支援が本格化した。皮膚科医局員も診療チームに加わり、3月15日には東條先生が気仙沼市立病院の支援に馳せ参じ、現在も気仙沼市立病院へは東條、浅野、土山先生を中心として、皮膚科医療支援を行っている。

 3月16日以降は石巻市内の避難所医療支援のために山崎、塚田、石橋先生が順次、石巻地区の巡回チームに合流した。

 3月17日には皮膚科有志による女川町方面の視察と医療物資搬送が立案され、私と山崎、浅野先生が、女川町立病院を訪問して職員の安否を確認すると共に、病院の被災状況と女川町内の避難所に関する情報収集を行った。

 震災後3月21日までは東北大学病院は重症患者のみの対応として一般診療を閉鎖した。皮膚科にも熱傷患者が数名運ばれ、病棟患者を中心に対応した。施設の復旧に伴い、3月22日よりは東北大学病院も再診外来を開始し、皮膚科も元の外来診療室での診療を再開した。

 3月23日には熱傷患者の手術を施行した。

 3月28日よりは新患患者の受付も開始し、4月よりは手術設備も完全稼働予定である。 宮城県内の皮膚科医療情報を収集すると、今回の震災により、多くの皮膚科医も被災し、皮膚科医療の空白地帯ができつつあることが判明した。とくに、被害の大きかった南三陸町と女川町では、交通手段の制限も相まって、皮膚科診療が受けられない状態にあり、東北大学皮膚科として医療支援を行う必要があると判断した。

 4月1日より皮膚科診療チームを編成し、東北大学病院の全面的支援の元に、1週間に一度の皮膚科診療支援に赴く予定である。

 研究室に関しては、3月22日頃より、医局・研究室のある建物への立ち入りが許可され、医局と研究室の復旧作業を技官・実験助手と大学院生を中心に行った。研究室ではスプリンクラーの作働・水漏れや転倒による機器の破損も見受けられたが、なんとか復旧可能な範囲である。また、冷蔵・冷凍保管中の試薬類や試料は、非常電源が幾つか生きていたお陰である程度の物を救うことができたことがせめてもの救いであった。

 今回の地震では、東北大学皮膚科医局員、大学院生、皮膚科担当看護師、実験助手、秘書の全員が無事であったことが、不幸中の幸いでした。また、比較的早期に東北大皮膚科同窓会、丁未会の会員の無事も確認できました。

 しかしながら、丁未会所属の開業医の先生の中では、気仙沼市、石巻市、塩竃市、多賀城市在住の多くの先生の診療所が津波で甚大な被害をうけています。東北大学皮膚科関連病院でも大きな被害を被った病院が少なくありません。

 石巻市立病院は、その周辺の住宅街が壊滅し、病院自身も津波にのみ込まれました。石巻市立病院の職員は市役所の一部を使って診療を再開するようですが、病院そのものの復興のめどはたっていません。

 女川町立病院と南三陸町の志津川病院もほぼ同様の状態で、現時点では復旧のめどはたっていません。

 福島県いわき市の磐城共立病院の周囲の医院は、福島原発の影響で閉院しているところが多い様です。

 津波に襲われなかった病院でも、エレベーター、水道管、ガス管などの破損が随所で認められ、仙台市内の基幹病院でも病院機能の縮小を余儀なくされている病院があります。

 まだ震災からの復旧の途中の段階で、予期せぬ事態に対応しなければならないことも多いと思いますが、医局員一丸となって、東北大学、仙台、宮城、さらには、東北地方全体の復旧、復興にむけて全力をつくしてゆく所存であります。これからもご支援の程をお願いいたします。

2011年4月7日 9:30

丁未会会員の皆様

現在、学内幹事が皆様の安否確認を行っております。
情報をお持ちの先生は、
teimikai_anpi(at)derma.med.tohoku.ac.jp
までご連絡をお願いいたします。
なお、アドレスの(at)は@に変換してください。

2011年3月16日 17:06

東北大学病院の建物は、新外来棟及び新病棟は倒壊箇所はありませんでした。
皮膚科の医局がある医学部3号館は、全壊は免れたものの、広範囲に渡り倒壊しましたが、
医局員は全員無事でした。

関係各位には、大変ご心配をおかけしていると思いますが、私たちは無事で頑張っております。

仮医局を、東病棟15階に構えております。

2011年3月16日 17:06

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