GREETING 教授あいさつ
浅野 善英 教授
世界の皮膚科学をリードする
多くの成果を発信し、
東北地方の地域医療の発展に貢献
2022年2月1日付で東北大学大学院医学系研究科神経・感覚器病態学講座皮膚科学分野教授を拝命いたしました。当教室は1907年(明治40年)、ひのとひつじ(丁未)の年に創設されて以来、2024年現在で開設118年を迎え、国内でも有数の世紀を超えた歴史と伝統を持つ皮膚科学教室の一つです。初代の遠山郁三教授(1907-1926)、太田正雄教授(1926-1937)、伊藤實教授(1937-1957)、高橋吉定教授(1957-1969)、清寺眞教授(1969-1982)、田上八朗教授(1983-2003)、そして相場節也教授(2003-2021)に次ぐ第8代教授となります。創立から現在までに教室で学んだ皮膚科医師、つまり丁未(ていび)会会員は400名に達し、東北地方をはじめ全国津々浦々で活躍しています。「研究第一」の学風をもつ東北大学において、当教室は連圏状粃糠疹、遺伝性対側性色素異常症、太田母斑、伊藤母斑、末端黒子型黒色腫、プレメラノソームの発見、大気汚染物質がアトピー性皮膚炎の症状を引き起こすメカニズムの解明、皮膚細菌叢への抵抗力低下が自己免疫疾患発症と関連することの発見など、世界の皮膚科学をリードする多くの成果を発信するとともに、宮城県を中心に広く東北地方の地域医療の発展に貢献してきました。このような歴史と伝統がある教室を担当させていただくことを大変光栄に思うとともに、その重責に身の引き締まる思いです。
PHILOSOPHY 教室の理念
当教室の理念は「真に人の役に立つ医療人かつ社会人の育成」です。患者さんはもとより、医療チームや研究チームのメンバーなど、関わり合うすべての人のために何かができる人を育成していきます。また、医療人である前に成熟した社会人を育てることも教室の重要な責務と考えています。真に人の役に立つには、相手をよく理解し、己を深く知ること、そして一社会人として常に敬意を持って人と接することが必要です。この考え方は、医学部・大学病院に求められる教育・研究・診療を高い水準で遂行するための基盤となります。高度でかつ安全な医療、患者さんに寄り添った全人的医療を提供するためには、大学内、さらには地域においてネットワークを組み、協力体制を作ることが求められます。医師にとって医療の現場は生涯教育の場であり、そこに真実があります。我々は常に敬意をもって真摯に患者さんと向き合う必要があります。創造性の高い研究を行うには、学内外・国内外の研究室や企業、そして異分野の研究者との連携が求められます。教室の理念を皆で共有し、豊富な知識と確かな技能、そして豊かな人間性を兼ね備えた若手医師を育成し、地域医療に貢献するとともに世界に研究成果を発信することを目指していきます。そのためには自らが若手医師の良き手本となる必要があります。自らの反省と強い向上心を持って日々の教育・研究・診療に取り組んでいきます。
HISTORY 教室の沿革
東北大学皮膚科教室の歴史は、1907年(明治40年、丁未の年)に遡り、1907年10月に東京帝国大学より遠山郁三先生が仙台医学専門学校(仙台医専、後の東北帝国大学医科大学)に教授として赴任し、皮膚科学教室の開設と県立宮城病院での皮膚科診療が開始されました。皮膚科同門会である丁未会は2024年で118年を数える日本の皮膚科の中で草分け的存在です。
仙台医専は1912年(明治45年)に東北帝国大学医学専門部に改組され、1913年には東北帝国大学医学専門部附属医院の設置と県立宮城病院の移管がなされた後に、1917年(大正6年)9月に東北帝国大学医科大学として皮膚病学・梅毒学講座が開設されました。遠山郁三先生は1919(大正8)年5月から1926年(大正15年)9月までを初代教授として東北帝国大学皮膚科教室を主宰され、遠山氏連圏状粃糠疹や遺伝性対側性色素異常症などの報告をなされました。
遠山郁三先生が東京帝国大学医科大学皮膚科教室第2代教授として転出されたのち、1926年(大正15年)10月から1937年(昭和12年)までは眼上顎褐青色母斑(いわゆる太田母斑)の病名を残された太田正雄先生が第2代教授を務められました。太田正雄先生は、木下杢太郎というペンネームをもつ当代一流の作家・詩人でもありました。
東京帝国大学医学部皮膚科教室第3代教授として太田正雄先生が転出されたのち、第3代教授伊藤實先生は1937年(昭和12年)7月から定年退官される1957年(昭和32年)3月まで教室を主宰され、伊藤母斑(肩峰三角筋部褐青色母斑)、脱色素性色素失調症、lentigo acromiantなどを報告しています。伊藤教授の時代は戦時であり、院長として奔走しつつ、広く東北地方に医局員派遣が行われていました。
第4代教授高橋吉定先生は医真菌学の権威であり、1957年(昭和32年)4月から1969年(昭和44年)3月の在任中は、東北大学皮膚科の歴史の中で、真菌研究が最も盛んな時期でありました。
1969年(昭和44年)10月から1982年(昭和57年)9月には、第5代教授にmelanosomeの発見者であり、acral lentiginous melanomaの概念を提唱された清寺眞先生をお迎えしました。この期間は清寺教授の専門とされた色素細胞研究が教室内外を問わずに展開され、国際色素学会の主催など国際会議も仙台で行われました。新研究棟の完成、電子顕微鏡の導入、生化学室や組織培養室の設置など、現在の研究室の体制がほぼ形作られたのもこの時期です。
第6代教授田上八朗先生は、皮膚bioengineering , 乾癬の炎症機構解析のパイオニアであり、1983年(昭和58年)6月から2003年(平成15年)3月まで教室を主催されました。田上教授の在任中に、角層機能解析が飛躍的に進歩し、皮膚科の外来には恒温恒湿測定室が設置されました。前任の第7代教授相場節也先生は、ランゲルハンス細胞の機能解析を中心に接触皮膚炎研究の世界的な発展に貢献し、独自に開発した皮膚感作性試験法が経済協力機構(OECD)により世界的な検査法として承認されるなど、社会的にも役立つ研究成果を挙げられました。在任中の2003年(平成15年)4月から2021年(令和3年)3月まで大学病院と関連病院の3万件以上の病理診断を行うなど、診療と教育にも多大なる尽力をされました。田上教授と相場教授の業績は国際的にも高く評価され、それぞれ2010年、2022年に国際皮膚科学会連盟(Internatinal League of Dermatology Societies)から表彰されました。
このように東北大学皮膚科は、錚々たる先生方を教授にお迎えしてきた歴史のある教室です。 これらの歴史の上に新たな足跡を積み重ねて行くべく、医局員一同研鑽しています。